向き合うことから逃げていた私へ
「ちゃんと向き合う」って、そんなに大げさなことじゃない。 でも、軽く見てたら、一生すれ違う。
その軽さで、私は何度も自分を見失った。
大事な人との会話で、笑ってるふりをしたまま──心が離れていった瞬間。 やりたくない仕事を引き受けた帰り道、喉の奥で自分の声が腐っていくのを感じた。 鏡の前で、自分の目を見られなくなった夜。
その瞬間瞬間が、私を少しずつ削っていった。 気づいたら、何が好きで、何が嫌いで、何に怒ってるのかもわからなくなってた。
逃げてた自分に気づいた日
あれは、梅雨の終わりだった。 空気は重くて、肌にまとわりつく湿気が息苦しかった。 森の中は静かで、足元の落ち葉はぐっしょり濡れていた。 踏むたびに、ぬるっとした感触が靴の裏にまとわりついて、気持ち悪かった。 風さえ、息をひそめていた。
遠くでカラスが鳴いた。 その声が、胸の奥の空洞に響いた。 誰の声でもないのに、返事をしたくなった。
私は、ただ歩いてた。 誰とも話したくなくて、スマホも置いてきて、ただ森の奥へ奥へと。 気づいたら、道がわからなくなってた。
そのとき、ふと立ち止まって思った。 「私、誰とも向き合ってない。自分とも。」
胸の奥が、ズキッと痛んだ。 それは、ずっと無視してきた自分の声だった。 「ちゃんと見てよ」って、ずっと叫んでたのに、私は耳を塞いでた。
あの日、私は“ちゃんと見て”と叫ぶ自分の声を、やっと聞こえた。
ちゃんと向き合う、とは何か
あの森の中で、私は考えた。 「ちゃんと向き合う」って、何をすればいいんだろう?
最初は、自己分析とか、反省とか、そういう“正しいこと”をすることだと思ってた。 でも、それってただの“作業”だった。 本当の向き合いって、もっと泥くさい。
自分の声が、他人の言葉みたいに聞こえてた。 「ありがとう」も「大丈夫」も、全部どこか借り物だった。
分析じゃなく、ただ見つめる
向き合うって、正しく整理することじゃない。 むしろ、整理できないものをそのまま見つめることだ。
問い続ける勇気
「なんであのとき、あんなこと言っちゃったんだろう」 「なんで、あの人の前だと笑えないんだろう」 「なんで、こんなに寂しいんだろう」 そういう問いを、ちゃんと自分にぶつけること。
“誰かの期待”の中で生きる痛み
誰かの期待に応えるために、生きるフリをしていた。 それは、生きているようで、死んでいた。
向き合うって、戦いじゃない。 覚悟を要するだけだ。
『向き合う習慣』を始める
そこから、私は「向き合う習慣」を始めた。 最初は、怖かった。 でも、やらなきゃ変われないって、あの森で決めたから。
1.朝、自分に「おはよう」と言う
最初はバカみたいだった。 鏡の前で、むくんだ顔の自分に「おはよう」って言うの、正直キツかった。 でも、3ヶ月続けたある朝、ふと涙が出た。
やっと、自分に会えた気がした。
2.夜、『今日の嘘』を書く
「本当はあの会話、楽しくなかった」 「無理して笑った」 「断れなかった」
そんな“嘘”を、正直に書く。 最初は手が震えた。 でも、目を逸らせなかった。
インクが乾く前に、次の嘘が滲んできた。
3.誰にも会わない日をつくる
スマホも通知も切って、ただ自分と過ごす。 最初は不安だった。「誰かに忘れられるんじゃないか」って。 忘れていたのは、自分自身だった。
向き合うとは、覚悟を習慣にすることだった。
“戻ってきた”私
この習慣を続けて、私は変わった。 いや、正確に言うと、「戻ってきた」。
- 人の顔色をうかがうクセが減った
- 「NO」が言えるようになった
- 自分の感情に、ちゃんと責任を持てるようになった
- 自分を嫌いじゃなくなった
でも、完璧じゃない。 今もまだ揺れる。 それでも、この足で立つ。
変わったんじゃない。戻ってきたんだ。 それが“ちゃんと”だ。
あなたの『ちゃんと』を聞かせて
ここから逃げ続ける限り、何も変わらない。
だから、あなたに聞きたい。
最近、自分の「嘘」に気づいた瞬間って、あった?
「ない」って思ったなら、それが答えかもしれない。 私もそうだった。 でも、気づかないふりをしてると、心がどんどん鈍くなる。 そして、ある日突然、何も感じなくなる。
それが一番、怖い。
逃げてもいい。 でも、逃げた自分からも逃げるな。
それが、ちゃんと生きるってことだ。 ……私は、今もその途中だ。
あなたの「ちゃんと」を聞かせてください
もし、あなたにも「向き合う習慣」があるなら、ぜひ教えてほしい。 コメントでも、SNSでも、あなたの「ちゃんと」を聞かせて。 それが、誰かの背中を押すかもしれないから。
そして、もしこの記事が心に残ったなら、シェアしてくれたら嬉しい。 「ちゃんと向き合う」って、ひとりじゃなくていい。
次は、「向き合った結果、壊れたままの関係を受け入れた話」でも書いてみようか。 癒しじゃなく、決別の先にある“静かな肯定”。 それもまた、ちゃんとの形だと思うんだ。どう思う?
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