
出典元:プレジデントオンライン
~60~74歳が“黄金期”と呼ばれる理由に、あなたはもう気づいていますか?~
「自由」って、そんなに甘くない
「定年後って、自由でいいよな」 そう言われるたびに、ある70代の男性の顔が浮かぶ。
彼は、定年を迎えた翌月、朝から晩までテレビの前にいた。
「やっと自由になった」と言っていたが、半年後にはこう漏らした。
「誰からも必要とされてない気がするんだよな…」
自由と孤独の境界線は、思っているよりずっと薄い。
それを知らずに定年を迎えると、“自由”は“空白”に変わる。
そしてその空白は、誰にも埋めてもらえない。
人生後半戦は、3つに分かれる
人生の後半は、ざっくりこう分けられる。
- 第1期:45~59歳 →責任の塊。仕事、家族、社会の期待。自分の時間は後回し。
- 第2期:60~74歳 →定年後。時間はある。だが、何をするかは自分次第。
ここが「黄金期」と呼ばれる理由――と、世間では言われている。
でも実際はどうだ? この時期に迷い、立ち止まり、何も選ばずに過ぎていく人がどれだけいるか。
“光って見えるだけ”の黄金期に、何も見つけられず終わる人もいる。
- 第3期:75歳以降 →体力・気力の衰え。選択肢が狭まる。 本当に失われるのは、“意味”と“存在感”だ。
「誰かの役に立っている」 「今日も誰かに必要とされている」
その感覚が消えたとき、人は静かに心を閉じていく。
昨日まで一緒に働いていた仲間が、
もう電話をかけてこない。
それが、現実だ。
生き方の差は、選択の差だ
ある女性は、60歳でカフェを開いた。
「ずっとやりたかったけど、家族のために我慢してた」
今は、毎朝5時に起きて仕込みをし、常連客と笑い合っている。
一方、別の男性はこう言った。
「定年後、何をしていいかわからなかった。
気づいたら、もう74歳。何もしてこなかった自分が、情けない」
選ばなければ、日々はただ流れていく。
そして、気づいたときには、もう選べない年齢になっている。
「何もしてこなかった」 この言葉を、あなたは10年後に口にしない自信があるか?
問いかける。あなたは、どう生きたい?
ここで、あえて聞く。
「あなたは、今の生き方に満足していますか?」
「まあまあかな」と答えたあなた。
その“まあまあ”が、あと10年後には“後悔”に変わっていないと言い切れるか?
「いや、まだ何も始めてない」と思ったあなた。
それなら、今が“始めどき”だ。
迷っている時間は、もう贅沢じゃない。
60~74歳は、過去の自分と未来の自分が、唯一対話できる時間。
この時期をどう使うかで、75歳以降の“静けさ”が、誇りになるか、後悔になるかが決まる。
生きるとは、過去と未来に責任を持つこと
誰かの期待に応えるためじゃない。
世間体を守るためでもない。
自分の人生を、自分で選び直すこと。
その時間は、“黄金期”なんて言葉に酔っているうちに、あっという間に過ぎる。
現実には、不安がある。
喪失がある。
焦りがある。
それを見ないふりをした瞬間、黄金期はただの“老後”になる。
最後に、あなたに問う。
あなたは、これからの10年を「ちゃんと」生きる覚悟があるか?
「まだわからない」と思ったなら、それでいい。
でも、わからないまま流されるのは、もう終わりにしろ。
逃げるな。
今、決めろ。
この10年が、最後の章だと思え。
次回は、「75歳以降の“再構築期”」について、 何も選ばなかった人が、どう立ち上がったのかを掘り下げる。
また読みに来い。
あなたの人生のために。
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